関東の三大師のひとつである川越大師・喜多院へ御朱印を頂きに行ってきました。
境内の様子とともに、ご利益やパワースポットなど情報についてもご紹介していきます。
目次
川越大師・喜多院の御朱印
こちらが川越大師・喜多院の御朱印になります。
関東三十六不動霊場の御朱印
喜多院は、関東三十六不動霊場の第28番にもなっています。
こちらが「御本尊・童子御尊影」になります。
小江戸川越七福神
喜多院には、小江戸川越七福神の大黒天が祀られています。
元日から7日及び毎月1日には、大黒天の御朱印も頂くことができます。
小江戸川越七福神については、別のページに詳しく載せていますので、気になる方はこちらをご覧ください。
川越大師・喜多院のご利益
川越大師・喜多院のご利益といえば御朱印にも書かれていますが「厄除け」です。
他にも「開運」「家内安全」「商売繁盛」のご利益を授けていただけるといわれています。
また、お大師様は観音様の生まれ変わりといわれていることから、「子宝」のご利益もあるといわれています。
境内の茶屋には、川越大師名物の「厄除けだんご」も販売しています。
厄除けで訪れた方は、こちらのお団子もいっしょに頂くと効果がアップするかもしれません。
川越大師・喜多院のパワースポット
喜多院は、風水では江戸の龍穴といわれる場所に建っていて、喜多院全体が大きなパワースポットになっています。
苦ぬき地蔵
苦ぬき地蔵尊は、本堂(慈恵堂)向かって左側にたくさんの旗に囲まれて立っています。
「釘抜き地蔵尊」とも呼ばれ、名前の通り「すべての苦しみを抜き取ってくれる。」として、たくさんの人たちから親しまれています。
お賓頭盧尊者
本堂(慈恵堂)に入って、一番右側のところにお賓頭盧尊者が祀られています。
お釈迦様のお弟子さんであり、十六羅漢の一者で「お賓頭盧さま」と呼ばれ親しまれています。
自分の体の痛いところや悪いところと同じ場所を撫でてお参りすると良くなるといわれています。
川越大師・喜多院の境内
山門前に建つ天海大僧正の像です。
天海大僧正は、喜多院第二十七世住職であり、江戸時代初期に喜多院を復興しました。
徳川家康の信頼も厚く、宗教政策の顧問的な存在として助言を行う存在でしたが、その存在はいまだに謎が多く、明智光秀が生き延びて天海大僧正になっていたなどという人もいます。
この像は、亡くなる2ヶ月前のお姿を写して奉納されたといわれています。
天海大僧正像の隣に祀られている白山権現。
天長七年(830)慈覚大師円仁が喜多院を創建したときに、天台宗修験道の霊場である白山より、この守護神として白山の神仏の分霊を祀ったと伝えられています。
山門
喜多院の山門は、天海大僧正が寛永九年(1632)に建立したもので、大火なども免れながら、現在では喜多院最古の建造物となっています。
山門入って右側に建っている太子堂。
五百羅漢
喜多院の五百羅漢は、天明二年(1782)から約50年かけて造営され、現在は全部で538尊あるそうです。
天明の大飢饉の時代に、北田島の農家出身の志誠が発願し、40~50体を作り、その後は、志誠の遺志が僧や町人によって受け継がれて現在の姿になっています。
立派な龍の口から水が流れ出ている手水舎でした。
本堂(慈恵堂)
喜多院は、天長七年(830)に慈覚大師円仁によって創建されたといわれています。
創建当初は、「無量寿寺」と呼ばれていました。
江戸時代に入ってから天海大僧正が復興に力を入れ、このときから寺号を「喜多院」へと改めました。
本堂(慈恵堂)は鎌倉時代に尊海僧正が建立し慈恵大師良源が祀られています。
現在の建物は江戸時代に再建されたもので、県指定有形文化財となっています。
慈眼堂
本堂向かって左手の小高い丘の上に建っているのが、天海大僧正を祀っている慈眼堂です。
鐘楼門
多宝塔
境内でもひと際目を引くのが、こちらの立派な多宝塔です。
お釈迦様と多宝如来が祀られていて、江戸時代に山門近くに建てられたものを昭和になってから現在の場所に移築しました。
本堂向かって右手には、小江戸川越七福神の大黒天が祀られている大黒堂が建っています。
北参道を歩いて行くと成田山川越別院が建っています。
護摩祈願
喜多院では、護摩修行によって、参拝者の方々の煩悩を焼き浄め、「大厄」を消除し、「家内安全」「商売繁昌」「厄除け」「身上安全」「心願成就」などを祈願して頂けます。
だるま市
1月3日に行われる「だるま市」は川越の名物になっていて、多くの人たちが参拝に訪れます。
川越駅からは、臨時バスもでるほどの賑わいとなっています。
正月3日は厄除元三大師のご縁日です。
喜多院への行き方や駐車場については、別のページに詳しく載せていますので、気になる方はこちらをご覧ください。