長野県諏訪市四賀に建つ仏法紹隆寺へ御朱印をいただきに行ってきました。
仏法紹隆寺は、大同年間(806頃)に征夷大将軍の坂上田村麻呂によって開基、弘法大師空海によって開山されたと伝わる諏訪有数の古刹です。
はじめは神宮寺村(現諏訪市中洲)に開かれ、慈眼寺と称しました。
その後、天正年間(1573~1592)に現在の地に境内を移し、仏法紹隆寺と改号したといわれています。
そんな長い歴史のある仏法紹隆寺の御朱印と境内の様子をご紹介するとともに、アクセス方法や駐車場などの情報もお伝えしていきます。
目次
仏法紹隆寺の御朱印
私が訪れたときには、期間限定の御朱印を含め4種類の御朱印がありました。
- 諏訪三十三観音十七番「藩主念持仏 聖観音」
- 諏訪二十三番札所「本尊 薬師瑠璃光如来」
- 諏訪大明神本地仏「普賢菩薩」
- 諏訪紅葉三山めぐりの期間限定御朱印
私は、御本尊の御朱印と期間限定御朱印を頂きました。
御本尊の御朱印
諏訪紅葉三山めぐりの期間限定御朱印
仏法紹隆寺の御朱印帳
仏法紹隆寺オリジナルの御朱印帳(御結縁帳)は、2種類用意されていました。(奉納料2,000円)
この御朱印帳(御結縁帳)は、聖天堂で諸願成就をご祈祷してくださっているもので、二冊揃えると「縁」という文字ができるようなデザインになっています。
仏法紹隆寺のお寺カード(テラカ)
仏法紹隆寺の宥全住職が発案したというお寺カード(テラカ)を頂くことができます。
現在では、諏訪エリアだけでなく他県にも広がっているそうで、入手方法は拝観(500円)で、五枚セットが貰えるほか、御朱印は一枚につき、ボックスから一枚引くことができます。
仏法紹隆寺の境内
仏法紹隆寺は開山当初、諏訪上社の別当社務を務めていました。
中世以降、諏訪地方における真言宗の学問と修行の道場として栄え、江戸時代には、諏訪地域を治めた高島藩の祈願寺に指定され藩より五十石を賜る寺院でした。
明治時代になると神仏分離令により、諏訪神社上社神宮寺に関わる多くの文化財が仏法紹隆寺に移転され、現在に至っています。
境内図
寺号標
徳本名号碑他
山門
鐘楼堂
夫婦大銀杏
諏訪市天然記念物に指定されている大銀杏は、諏訪大社の神官の屋敷の銀杏と夫婦という伝承があり、ギンナンを食べると子宝に恵まれると言われています。
秋のちょうど見頃の時期に訪れることができました。
本堂
仏法紹隆寺は、様々な札所となっています。
- 諏訪三十三観音第十七番:聖観音(藩主念持仏聖観音)
- 諏訪八十八ヵ所第五十八番:本尊薬師如来
- 伊那諏訪八十八霊場客番神変山神宮密寺:諏訪大明神御本地普賢菩薩
- 諏訪百番霊場中三十二番:本尊薬師如来
- 伊那諏訪八十八霊場第二十三番:本尊薬師如来
智映堂
成田堂
聖天堂
拝観受付
名勝庭園および普賢堂、宝物殿、本堂内を見学するには拝観料と予約が必要です。
一般が500円(中学生以下無料)、20名以上の団体が400円となっています。
また、拝観時間は午前9時から午後4時です。(要予約)
普賢堂
普賢堂は、かつて諏訪大社上社に存在した普賢堂を再興したお堂です。
諏訪大明神は、普賢菩薩がその元の姿(本地)とされ、神仏分離の際に諏訪大社上社神宮司普賢堂より諏訪大明神本地普賢菩薩をはじめとする諸仏が仏法紹隆寺に移されました。
また、このお堂は、延宝元年(1673)に東京高輪(現、高野山東京別院)に建立され、明治時代に初代内閣総理大臣の伊藤博文によって大改修が行われ、昭和の時代に高野山より下賜され移築したお堂だそうです。
諏訪大明神本地普賢菩薩騎象像。
御本尊の諏訪大明神本地普賢菩薩と上社本宮が一直線で結ばれるように建立されています。
宝仏殿
庭園
仏法寺の庭園は、諏訪最古の安土桃山時代庭園をはじめ、江戸、明治、大正、昭和とそれぞれの時代の庭園を楽しむことができます。
裏山の山畦を利用した池泉鑑賞式庭園で、滝石組を設け、山頂に集団石組、左に蓬莱遠山石、右に蓬莱三尊石、池部池中に亀石、対岸に鶴石組を置くなど、多様な石組みをまとまりよく配置しています。
中央の玉潤式滝石組と左の枯滝石組は、桃山時代の技法によるもので、この時代のものとしては県下でも数少ない庭園の一つです。
仏法紹隆寺へのアクセス方法(行き方)
電車とバス
- JR茅野駅からバスに乗車し、四賀出張所前バス停で下車、徒歩約10分
- JR上諏訪駅からバスに乗車し、四賀出張所前バス停で下車、徒歩約10分
駐車場
- 第一駐車場 約20台
- 第二駐車場 約10台
- 開敷院駐車場約5台
地図
- 住所:長野県諏訪市四賀4373