山梨県甲府市愛宕町に建つ「瑞雲山 長禅寺」へ参拝に行ってきました。
武田信玄公が定めた甲府五山の筆頭である長禅寺は、室町時代後期に信玄公の母である大井夫人が開基した寺院です。
甲斐国三十三観音霊場第9番札所、甲斐百八霊場第58番札所、甲斐八十八ヶ所霊場第64番札所になっている名刹です。
このページでは、そんな名刹の御朱印や境内の様子、アクセス方法などの情報をご紹介していきます。
目次
長禅寺の御朱印
私が訪れたときは、残念ながら御朱印はされていませんでした。
ネットで調べてみると甲府市観光課のサイトで「朱印帳等の記載はご遠慮願っております。」という記載があったので、いつ伺っても頂けないようです。
今後、状況が変わるかもしれませんが、そちらについてはご自身でご確認ください。
長禅寺の境内
長禅寺を参拝するのに拝観料などはありませんでした。
山門
愛宕山の山裾に建つ長禅寺の入口に到着すると巨大な山門に目を奪われました。
屋根と柱だけの山門で、他ではあまり見ることのできないものでした。
中門
境内
信玄公の母である大井夫人は、巨摩郡大井(現在の南アルプス市)の領主であった大井信達の娘でした。
武田信虎との間には、信玄、信繁、信廉、定恵院をもうけました。
大井夫人は、長禅寺が開かれたときの住職である岐秀元伯に深く帰依し、信玄の幼少期からの儒学・禅・治国の法を学ばせ、信玄公の人間形成にとって、長禅寺は恵林寺に劣らない役割を果たしたといわれています。
また、岐秀元伯は、武田晴信から「機山信玄」という法号を与えたことでも知られています。
綺麗に整備された美しい境内でした。
天正十年(1582)、織田信長の甲斐侵攻によって武田家が滅亡すると、武田家縁の神社や寺院が焼き討ちとなり長禅寺もその兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失したといいます。
その後、再興されましたが昭和二十年(1945)の空襲の戦火により再度焼失してしまいました。
法党の左手の一段高いところに大井夫人のお墓が建っています。
また、寺宝には、国の重要文化財に指定されている信廉が母の一周忌法要の為に描いたとされる「絹本著色武田信虎夫人」があります。
鐘楼
三重塔
境内に立つ三重塔と五重塔は美しさと迫力がありました。
五重塔
長禅寺へのアクセス方法(行き方)
電車
- 甲府駅南口から徒歩15分
地図
- 住所:山梨県甲府市愛宕町208