山梨県甲府市に建つ「法蓋山 東光寺」へ御朱印を頂きに行ってきました。
保安二年(1121)に源義光(新羅三郎義光)によって開創された臨済宗妙心寺派の寺院で、武田信玄公が定めた「甲府五山」の一つにもなっています。
このページでは、そんな由緒ある東光寺の御朱印と境内の様子、アクセス方法や駐車場などの情報をご紹介していきます。
目次
東光寺の御朱印
こちらが東光寺の御朱印になります。
甲斐百八霊場第五十六番にもなっています。
東光寺の境内図
東光寺の境内図になります。
東光寺の境内
東光寺を参拝するのに、拝観料などはありませんでした。
ただし、庭園の拝観料は300円(中学生以下は無料)となっています。(※金額は変更になっている可能性がございます。)
惣門
中門
境内は、きれいに整備されています。
仏殿
東光寺の仏殿は、天正十年(1582)の織田信長の兵火及び昭和二十年(1945)の戦災を免れて現在に残っている貴重な建築物です。
室町時代後期に建造された禅宗様建築の仏殿で、国指定重要文化財に指定されています。
禅宗様建築は、鎌倉時代の13世紀後半から盛んに禅宗寺院の建築に用いられた様式で、山梨県内では清白寺の仏殿(山梨市)と最恩寺(富沢町)の仏殿の2棟を見ることができます。
仏殿に安置されている十二神将像と毘羯羅神像の頭部内側に「弘長二年(1262)一月五日」の墨書銘があり、鎌倉時代中期ごろまで密教寺院として存続していたことが推測されるそうです。
何十年、もしくは何百年もこの地を見守って来たであろう巨木も境内に立っています。
本堂
江戸時代に入り、甲府藩主が柳沢氏となってからは復興も進み、宝永七年(1710)に国入りした柳沢吉里の帰依は厚く、男子二人の墓が東光寺にあります。
武田義信公と諏訪頼重公の墓所
本堂裏手の墓地の一角に武田義信公と諏訪頼重公の墓所があります。
武田義信公墓所
今川義元の娘を正室として迎えていた武田義信は、父である武田信玄が駿河侵攻を決めたことに対して反対し、謀反の疑いをかけられたのち東光寺に幽閉されました。
そして永禄十年(1567)の10月19日に東光寺にて自害しました。(病死という説もあります)
諏訪頼重公墓所
諏訪頼重は、武田信虎の娘である禰々を正妻に迎えて婚姻関係をもっていましたが、武田信玄が諏訪へ侵攻したことによって甲府へ連行され、東光寺に幽閉されました。
そして、東光寺にて自害しました。
東光寺へのアクセス方法(行き方)印
電車(最寄り駅)
- JR身延線の「善光寺駅」から徒歩約10分
電車とバス
- 甲府駅南口からバスに乗車し、善光寺入口で下車、徒歩約10分
駐車場
- あり
地図
- 住所:山梨県甲府市東光寺3丁目7-37