山梨県甲府市岩窪町の住宅街の中にひっそりとあるのが信玄公火葬塚(武田信玄公の墓)です。
天下統一を目指して上洛する途中、元亀四年(1573)に病死した信玄公は、重臣の土屋昌続邸で荼毘(火葬)されたと伝えられています。
火葬塚は後年、武田家の旧臣たちによってこの場所に建てられました。
信玄公火葬塚(武田信玄公の墓)を見学するのに料金などは必要ありません。
甲府市北部幼児教育センターの駐車場の道路を挟んだ北側に建っています。
三方ヶ原で徳川家康を撃破しましたが、そのご陣中で持病が悪化し帰国を余儀なくされ、伊那の駒場(現、長野県下伊那郡阿智村)で亡くなったと伝えられています。(1573年4月12日、53歳)
信玄公の遺骸がどのように処理されたかは不明ですが、信玄公を崇敬していた柳沢吉保が、この場所を信玄公の墓所として公認したそうです。
火葬塚に立つ「法性院大僧正機山信玄之墓」の石碑は、安永八年(1779)のもので、中郡と西郡を中心とする地域の住民が協力して建てたものです。
風林火山の幟が風に揺られていました。
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【動画】信玄公火葬塚の様子
信玄公火葬塚の様子を動画にしました。
今もなお甲斐の英雄として県民の皆さんから親しまれている武田信玄公の火葬塚の様子をぜひ動画でもご覧ください。
信玄公火葬塚へのアクセス方法
地図
- 住所:山梨県甲府市岩窪町217