長野県茅野市ちの上原に建つ「少林山 頼岳寺」へ参拝に行ってきました。
頼岳寺は曹洞宗のお寺で、諏訪地方の筆頭寺院です。
江戸時代初期の寛永八年(1631)に開創し、開山は大通関徹(だいつうかんてつ)、開基は高島藩初代藩主の諏訪頼水で、諏訪三十三観音霊場第十四番札所にもなっています。
このページでは、そんな歴史ある頼岳寺へのアクセス方法や駐車場、境内の様子や御朱印などの情報をご紹介していきます。
目次
頼岳寺へのアクセス方法
電車
- JR中央本線の「茅野駅」から徒歩約30分
駐車場
- あり
地図
- 長野県茅野市ちの上原1753
頼岳寺の境内
境内図
入口
頼岳寺は、開創以来この地方の中心的な勢力を保ち、江戸時代には寺領100石を受け、末寺は十四ヶ寺あったそうです。
総門
総門額「少林山」は、江戸時代の中国の僧である東皐心越の書です。
参道
総門をくぐった先には、茅野市の指定文化財となっている美しい杉並木の参道が広がります。
この参道の杉並木は、かつては目通り幹周り3.5メートル、推定樹齢300年の大木が立ち並んでいましたが、昭和九年(1934)の室戸台風及びその後の台風によって多くの木が倒れてしまったそうです。
理昌院
理昌院は曹洞宗に属し、頼岳寺の末寺です。
はじめ上原城本丸下の曲輪(理昌院平)にありましたが、頼岳寺開創後に現在の地へ移ります。
手水舎
子安地蔵
山門
山門の額、「鵞湖(がこ)禅林」は、頼岳寺の別名で、鵞湖は諏訪湖を指します。
昭和二十七年(1952)の建立。
本堂
本堂とその後ろに建つ開山堂は、大正六年(1917)に建立。
鐘楼堂
高島藩主諏訪家墓所賴岳寺御廟
諏訪氏は、諏訪社の神職や諏訪の領主として君臨し、江戸時代には高島藩三万石の大名でした。
その諏訪氏の菩提寺であった永明寺が寛永七年(1630)に寺に駆け込んだ科人の引き渡しを拒否したことから、諏訪頼水の命によって破却され、その後、諏訪氏の菩提寺として開基した寺が頼岳寺になります。
御霊屋は三室に分かれ、中央が頼水の父である頼忠、右が頼忠夫人で、左側が頼水となっています。
御霊屋の頼水廟の前面には、頼水の子である頼郷、頼泰、頼孚や家臣が奉納した六基の石灯籠が建てられています。
頼岳寺の御朱印
御朱印は頂くことができるようですが、私が訪れたときは不在でいただけなかったので、こちらをご覧ください。