埼玉県さいたま市緑区に建つ氷川女体神社(氷川にょたい神社)は、武蔵国の一宮として昔から多くの人々に崇敬されてきた神社です。
大宮の氷川神社が「男体社」で氷川女体神社が「女体社」と呼ばれる関係になっています。
緑あふれる境内の様子を写真でお伝えするとともに、ご利益やパワースポット、氷川女体神社までのアクセス方法についてもご紹介していきます。
目次
氷川女体神社の御朱印
こちらが氷川女体神社の御朱印になります。
御朱印は、社殿向かって左手にある社務所で頂くことができます。
ただし、御朱印を書いて下さる方が常駐しているわけではないので、書置きになってしまうこともあるので、ご注意ください。
私が行ったときも、書いて下さる方がいなかったため書置きを頂きました。
氷川女体神社のご利益
氷川女体神社が「女体社」であることから、「恋愛成就」「良縁祈願」「子孫繁栄」など女性の願いを叶えていただけるご利益を授けていただけるそうです。
御祭神
- 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
- 三穂津姫命(みほつひめのみこと)
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
氷川女体神社のパワースポット
巫女人形
全国で唯一の巫女人形として知られています。
巫女人形願いごとをすると、巫女人形が大神さまにその願いを届けてくれるそうです。
願いが叶ったら着物を着せてお参りするので、神社にはたくさんの着物を着た巫女人形が置かれていました。
竜神社
竜神社は、社殿向かって右側に建っています。
見沼はかつて現在のさいたま市と川口市にまたがる広大な沼で「御沼」とも称される神沼で多くの人々から崇敬される沼でした。
その沼には、竜神さまが棲んでいるという伝説があり、その竜神さまをお祀りしています。
御船祭と竜神伝説
遠い昔から見沼の一番深いところに神輿を乗せた船を繰り出し、沼の主の竜神を祀るために「御船祭」というお祭りが行われていました。
ところが享保十二年(1727)に徳川吉宗公の政策によって見沼は開拓され「見沼田んぼ」となってしまいました。
長年続けてきた「御船祭」ができなくなったことを徳川幕府に伝えると、神社の前にまるで手鏡のように見沼の水を残し、中央に土壇場という出島を造りお祭りの場を残してくれたそうです。
見沼の竜神さまは開拓とともに天に昇り、いまでもこの辺りを見守ってくれているといわれています。
熊のご神木
社務所のすぐ隣に立っている御神木には、熊の顔のようなコブがあり、2013年6月にテレビ番組「ナニコレ珍百景」で放映され、話題になった木です。
氷川女体神社へのアクセス方法(行き方)
電車とバス
電車の最寄り駅は、「浦和駅」もしくは「東浦和駅」になります。
どちらの駅からも国際興業バスの「さいたま東営業所行き」のバスに乗り、「朝日坂下」バス停で下車になります。
地図
- 住所:埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1
駐車場
車で行く場合、駐車場は近くにある見沼氷川公園に約20台ほど停められるスペースがあります。
東浦和駅から氷川女体神社への道のり
私は、東浦和駅からバスに乗って氷川女体神社へ行ってきました。
駅から神社までの道のりを写真でご紹介していきます。
東浦和駅の改札口を出ると、バスのりばの案内が貼られていました。
国際興業バスに乗るので、改札口を出たら左に曲がります。
改札口を出てすぐ左手にバスロータリーがあります。
「さいたま東営業所」行きのバスに乗る場合は、3番のりばになります。
東浦和駅からバスに乗って「朝日坂下」バス停まで行くのですが、バスに乗っている所要時間は約10分になります。
また、浦和駅から行く場合は所要時間は25分くらいだそうです。
「朝日坂下」バス停に到着しました。
「朝日坂下」バス停を降りたら、バスの進行方向とは逆の少し戻る感じで歩いて行きます。
最初の信号で、道路を渡ってそのまま真っすぐ歩いて行きます。
閑静な住宅街へと入っていきます。
閑静な住宅街の道を進んでいくと見ごり溢れる場所にでてきます。
このままこの緑の中に入って行っても氷川女体神社へ行くことができますし、まっすぐ道を進んで坂を下ったところで、右に曲がると
氷川女体神社の入り口へ行くことができます。
バス停からここまでは、徒歩5分くらいです。
氷川女体神社の境内
氷川女体神社の創建は、「武州一宮女体由緒記」によると崇神天皇(前97~30)の勅により出雲国杵築大社(現在の出雲大社)を移し、社領を寄進してこの地へ祀ったとされています。
神社の前に架かっているこちらの赤い橋は、氷川女體橋といいます。
階段を上がって境内へと入っていきます。
緑に囲まれた厳かな雰囲気でした。
こちらが手水舎になります。
社殿
美しい三間社流れ作りの社殿は、寛文七年(1667)に徳川四代将軍の家綱の命により竣工されたそうです。
本殿
道標
もともと赤山街道沿いの大間木水深(現在の浦和)に立っていた道標が境内に置かれています。
幕末の弘化二年(1845)に建立されたもので、氷川女体神社への参拝客が非常に多く、篤い信仰を受けていたことを物語る貴重な資料となっています。
「三鱗文兵庫鎖太刀」「牡丹文瓶子」「氷川女體神社神輿」といった貴重な文化財が多数あるそうです。
みどり溢れる社叢は市指定の天然記念物であり、埼玉県の「ふるさとの森」にも指定されています。