山梨県甲府市和田町に建つ法泉寺へ御朱印を頂きに行ってきました。
臨済宗の名僧である夢窓国史師を招聘開山したお寺で、武田信玄の息子である勝頼公と武田氏中興の祖とされる武田信武公の墓が建てられています。
また、甲斐百八霊場62番札所にもなっています。
そんな歴史ある法泉寺の境内の様子と御朱印、アクセス方法や駐車場などの情報をご紹介していきます。
目次
法泉寺の御朱印
こちらが法泉寺の御朱印になります。
法泉寺の境内
法泉寺へ参拝するのに拝観料などはありませんでした。
山門(鐘楼門)
二階に鐘が吊るされている山門は、江戸時代の寛永十四年(1637)に建立されたもので、甲府市文化財に指定されています。
鐘は、排仏毀釈の影響で失われましたが昭和に入って新鋳したものだそうです。
参道
山門をくぐると本堂まで、石灯篭が並ぶ参道となっていました。
本堂
江戸時代の延宝八年(1680)に建立された本堂には、御本尊の「釈迦如来座像」「夢窓国師座像」等が安置されています。
武田信武・武田勝頼公廟所
元徳二年(1330)、当時甲斐国主であった武田信武が、夢窓国師の高弟であった月舟禅師を招いて創建したのが法泉寺です。
以後、法泉寺は信武の位牌所として武田氏の厚い外護を受け、信玄は寺領を寄進し、甲府五山に列しました。
長篠の戦で織田・徳川連合軍に敗れてから、衰退しはじめた武田家は、ついに天正十年(1582)織田信長よって滅亡させられてしまいます。
天目山で自害した武田勝頼の首は、京都六条河原にさらされました。
京都妙心寺の南化玄興は、その首を引き取って葬儀を行い、法泉寺の快岳禅師が勝頼公の首級をもらい受け、持ち帰って手厚く葬ったそうです。
経蔵
経蔵と輪蔵は、安永三年(1774)頃に檀徒の北村氏の祖先が金五十両を寄進して発願し、文化十年(1813)に完成したといわれています。
金剛智慧不動尊
その他境内の様子
法泉寺へのアクセス方法(行き方)
電車とバス
- 甲府駅南口からバスに乗車し、塩部バス停で下車、徒歩約15分
駐車場
- あり
地図
- 住所:山梨県甲府市和田町2595