天台宗神木山等覚院へ御朱印を頂きに行ってきました。
関東三十六不動霊場や東国花の百ヶ寺巡りの札所寺院として有名です。
御朱印とともに境内の様子などもご紹介していきます。
目次
等覚院の御朱印
関東三十六不動霊場
等覚院は、関東三十六不動霊場の第六番札所になっています。
等覚院で頂いた御本尊・童子御尊影です。
東国花の百ヶ寺
等覚院はつつじの名所であることから、東国花の百ヶ寺にも選ばれています。
私は頂かなかったのですが、こちらの御朱印もいただけるようです。
つつじの様子については、別のページに詳しく載せていますので、気になる方はこちらをご覧ください。
関東九十一薬師霊場
等覚院の薬師如来像は、関東九十一薬師霊場の第十六番札所になっています。
準西国稲毛三十三観世音霊場
境外にある神木観音堂の観音像は、準西国稲毛三十三観世音霊場の第二十八番札所となっています。
神木観音堂はこちらになります。
等覚院のご利益
等覚院は、ぜん息封じのお寺として広く知られており、ぜんそく平癒の祈願に来られる方が多いそうです。
他にも癌封じの祈願に来られる方もいらっしゃいます。
等覚院の境内
立派な山門は、明治十年(1877)に建立された三間一戸の楼門です。
山門には力強い目をした仁王様がいらっしゃいました。
山門の天井には、美しい天女の絵が描かれていました。
草鞋が奉納されていました。
健脚を祈願するために草鞋を奉納されているようです。
こちらが手水舎になります。
日本武尊が東夷征伐に向う途中、疲労が極みに至ったときに白鶴に導かれてこの地にあった泉水に来たそうです。
そして泉水の湧水を飲んだところ、疲労がすっかりと癒えて体中に英気がみなぎったことから日本武尊は、この泉を神の霊水だとし、お礼にこの地に一本の木を植えました。
その木がのちに神の木と崇められるようになり、この場所を「神木」、泉の辺りを「鶴ヶ谷戸」と称するようになったそうです。
等覚院の創建年代等は不詳で詳しくはわかっていないようです。
本堂は、安政年間(1854~60)に再建されたもので、本尊である大聖不動明王は絶対秘仏で拝むことは出来ませんが、江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」では、一尺五寸(約45cm)の不動明王立像だと伝えられています。