今回は忠臣蔵で有名な赤穂浪士四十七士の墓がある泉岳寺へ御朱印を頂きに行ってきました。
ご利益やアクセス(行き方)方法などについてもご紹介していきたいと思います。
目次
泉岳寺の御朱印
こちらが泉岳寺の御朱印になります。
御朱印を頂ける寺務所は、本堂向かって右手の建物にあります。
泉岳寺のへのアクセス(行き方)
- 都営浅草線の「泉岳寺駅」より歩いて約1分。
泉岳寺駅のA2出口からでるようにします。
A2出口をでたら、目の前の交差点を渡ります。
交差点を渡ったら右に歩いて行きます。
歩いていると四十七義士の石碑が建てられていました。
泉岳寺の中門に到着しました。
以前は、三門(総門・中門・山門)があったそうですが、現在は中門と山門のみが残っています。
天保七年(1836)に再建されたものです。
泉岳寺の境内
泉岳寺の中門をくぐり境内の中に入っていきます。
中門をくぐると右手にお土産屋さんが並んでいました。
店舗の上には、歴史を感じさせる陣太鼓が飾られていました。
泉岳寺の山門前まできました。
山門の右側には、立派な「大石内蔵助吉雄銅像」が建っていました。
像の後ろの空と雲がいい感じで撮れました。
泉岳寺の山門は、天保三年(1832)に再建されたもので、1階の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめこまれていて、二階には十六羅漢が安置されているそうです。
山門をくぐり中に入っていきます。
外国人も多いのか入口には「Temple Gate」とも書かれています。
こちらが泉岳寺の本堂になります。
第二次世界大戦で空襲で焼失してしまいましたが、昭和二十八年(1953)に現在の本堂が再建されたそうです。
まずは、赤穂浪士のお墓を目指して歩いて行きます。
階段であがる道のとなりには、バリアフリーの道が作られていました。
手水舎には、小さな大石内蔵助像がちょこっと乗っていました。
赤穂浪士のお墓がある前に建てられているこの門は、浅野家の鉄砲州上屋敷の裏門だったものを、明治時代に移築したそうです。
お墓の前には、「義士墓解説」が置かれていました。
これでどこにどなたが眠られているのかがわかります。
お墓がある敷地の中に入っていきます。
泉岳寺は、「それまではただの寺なり泉岳寺」という川柳が読まれるほど、赤穂浪士の討ち入り事件が無ければ、特に有名になることもない禅寺だったそうです。
大石内蔵助良雄のお墓
浅野内匠頭のお墓
浅野内匠頭奥方のお墓
首洗井戸
吉良上野介義央の首をこの井戸で洗って、主君の墓前に供ったそうです。
首を洗ったと聞くと、写真を撮るのも少し抵抗があったのですが、一枚だけ撮らせていただきました。
血染の石と血染の梅
浅野内匠頭が自刃した田村邸にあったものだそうです。
赤穂義士記念館
境内の中には、赤穂義士記念館が建てられています。
討ち入りから300年が経ったことから、新しくこの記念館が立てられたそうです。
赤穂義士記念館の料金
赤穂義士記念館の料金は、大人一人500円となっています。