神奈川県平塚市にある平塚八幡宮へ御朱印を頂きに行ってきました。
相模國一國一社の神社として、また鎮地大神として多くの人々から崇敬され続けてきた神社は、とても厳かな雰囲気でした。
そんな境内の様子とともに、ご利益やパワースポット、平塚八幡宮までのアクセス方法や駐車場などについてご紹介していきたいと思います。
目次
平塚八幡宮の御朱印
平塚八幡宮では、3種類の御朱印を頂くことができます。
「鎮地大神」と書かれ「平塚八幡宮」の朱印が押された御朱印になります。
湘南ひらつか七福神の弁財天の御朱印
平塚八幡宮は「湘南ひらつか七福神」の弁財天が祀られているため、その御朱印も頂くことができます。
湘南ひらつか七福神めぐりについては、別のページに詳しく載せているので、気になる方はこちらをご覧ください。
鶴峯山稲荷の御朱印
平成二十八年(2016)の10月に東御池の浮島に鎮座された鶴峯山稲荷の御朱印になります。
平塚八幡宮は、以前「鶴峯山八幡宮」と呼ばれていました。
御朱印は、二の鳥居前に建っているこちらの社務所で頂くことができます。
御朱印を頂ける時間はわからなかったのですが、祈祷の受付は午前8時40分から行われ午後16時00分(受付終了は15時30分)までとなっています。
私が行ったときには、御朱印を頂くとこちらの平塚八幡宮の歴史や境内の説明などが書かれた冊子とハガキを1枚頂くことができました。
平塚八幡宮のご利益
御祭神
- 応神天皇(おうしんてんのう)
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
- 武内宿禰命(たけしうちのすくね)
御殿のところに置かれていた大しゃもじの朱印には「商売繁盛」「除災招福」「五穀豊穣」「天下泰平」と書かれていました。
また、平塚八幡宮には「厄除」「八方除」「方位除」「安産祈願」「車のお祓い」などの祈願をされに訪れる人が多いようです。
さらに源頼朝や徳川家康が篤く崇敬されていたことから「武運」や「勝負運」のご利益も授けていただけるといわれています。
平塚八幡宮のパワースポット
末社三社
御殿向かって右側には末社三社が祀られています。
諏訪社
- 御祭神:建御名方神
- 開運・交通安全の神
- 場所:向かって右側
若宮社
向かって中央
- 御祭神:仁徳天皇
- 子育・子供の守り神
- 場所:向かって中央
神明社
- 御祭神:天照大御神、事代主神(えびすさま)、徳川家康
- 出世・商売繁盛の神
- 場所:向かって左側
平塚弁財天社社
平成二十三年(2011)の3月に平塚市岡崎鎮座駒形神社末社弁財天社より分霊し勧請。
「湘南ひらつか七福神」の弁財天にもなっていて、「金運」「芸能」「美容」の神様です。
鶴峯山稲荷
元宮は平塚市八幡鎮座八坂神社末社の川余稲荷で、氏子の願いによって御分霊を頂き、境内地でお祀りされることとなったそうです。
「五穀豊穣」「商売繁盛」の神様です。
浄銭
浄銭池では龍の口から滝のように水が流れ出ていて、その水でお金を浄めることができます。
鎌倉の銭洗弁財天のように金運アップにつながるかもしれません。
御神木
境内の樹木はすべて御神木とされていますが、中でも御殿向かって左側に立っている御神木は崇敬を集めています。
鎮守の森の木々から生きる力を授けていただけます。
道祖神・浅間社
安産・女性の守り神である浅間社と疫病・性病除けの神である道祖神です。
太子堂
聖徳太子を祀る祠の太子堂は、建築土木の守り神です。
平塚八幡宮へのアクセス
最寄り駅
JR東海道線の平塚駅北口から市役所方面へ歩いて約8分。
バスの場合は、「市役所前」バス停で下車し、徒歩3分。
地図
〒254-0041 神奈川県平塚市浅間町1-6
駐車場
駐車場は無料のスペースが用意されています。
駐車場の場所はこちらをご覧ください。
万歩計で測った平塚駅から平塚八幡宮まで所要時間と距離
実際に平塚駅の北口から平塚八幡宮まで万歩計をつけて歩いてみると所要時間は9分。
万歩計は830歩で、距離590mとなりました。
平塚八幡宮の境内
平塚八幡宮の一の鳥居です。
朱色の大きな鳥居は圧巻でした。
一の鳥居の前に建っている狛犬です。
境内の中に入ると右に鶴峯山稲荷が祀られている東御池、左に弁財天社が祀られている西御池があり、その池の中をアヒルや鴨たちが泳いでいました。
境内の中にも我が物顔でアヒルや鴨たちがいるので、ちょっとビックリしました。
とってもかわいかったです。
こちらが平塚八幡宮の手水舎です。
青銅の鳥居をくぐると御殿へと行くことができます。
青銅の鳥居前に建っている青銅の狛犬です。
平塚八幡宮は仁徳天皇(第十六代天皇)が平塚を襲った大地震に苦しむ人を憂いて、国土安穏のために創建したのが始まりとされています。
仁徳天皇の父である應神天皇(第十五代天皇)の御神霊が祀られました。
また、当時は平塚八幡宮ではなく鶴峯山八幡宮と呼ばれていたそうです。
その後、推古天皇の御代にも大地震に見舞われたため、国家安泰を祈願して社殿が造営されました。