山梨県甲州市塩山小屋敷に建つ「乾徳山 恵林寺」に御朱印を頂きに行ってきました。
武田信玄の菩提寺として知られる恵林寺は、元徳二年(1330)に夢窓国師によって創建されたお寺です。
五山・十刹につぐ諸山に列せられ、南北朝時代には多くの禅僧が、京や鎌倉などから入寺し、東国の臨済禅の中心として発展しました。
このページでは、そんな由緒ある恵林寺の御朱印や境内の様子、アクセス方法や駐車場などの情報をご紹介していきます。
目次
恵林寺の御朱印
私が訪れたときは、全部で4種類の御朱印を頂くことができました。
記念朱印など時期によっていただけるものもあります。
記念朱印などの情報については、恵林寺の公式ページでご確認ください。
通常の御朱印
私は3種類の御朱印を頂きました。
恵林寺は、甲斐百八霊場の大九番札所にもなっています。
信玄公の月命日特別朱印
マスク地蔵朱印
恵林寺の御朱印帳
私が訪れたときに置かれていた御朱印帳には、「風林火山」と表紙に書かれていました。
恵林寺の境内
臨済宗妙心寺派の名僧であった快川紹喜が、信玄公の度重なる懇願に答える形で、永禄七年(1564)に住職となります。
このとき信玄公は、寺領約300貫文を寄進して、自らの廟所と定め、恵林寺の興盛を図ったといわれています。
元亀四年(1573)に死去した信玄公の葬儀は、3年後に盛大に恵林寺で営まれ、葬られました。
総門(黒門)
恵林寺の南の入口に建てられているのが総門(黒門)です。
四脚門(赤門)
総門(黒門)をくぐり参道を歩いて行くと次に現れるのが、国の重要文化財に指定されている四脚門(赤門)です。
慶長十一年(1606)に徳川家康によって再建された伝えられていて、恵林寺の山号である「乾徳山」の額が掲げられています。
三門
天正十年(1582)3月、織田信長によって武田氏は滅亡させられてしまいます。
その後、反織田氏の佐々木一族をかくまったとの理由で織田信忠によって焼打ちに合い、快川国師をはじめ百数十人の僧は、山門に集められて焼き殺されてしまいました。
このとき、快川国師が「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」という最後の言葉を残したといわれています。
現在の三門は、県の重要文化財に指定されています。
開山堂
開山堂には、夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の三像が安置されています。
また、甲州市指定文化財です。
三重塔
昭和四十八年(1973)に建立された三重塔。
庫裡
拝観料については、公式ページでご確認ください。
鐘楼
食事処と土産物屋
近くには、食事処や土産物を購入することができる場所もあります。
恵林寺名物の団子屋さんがあったのですが、私が訪れたときは残念ながらお休みで食べることができませんでした。
恵林寺へのアクセス方法
電車とバス
- JR中央線の「塩山駅」南口から西沢渓谷行のバスに乗車し、「恵林寺前」バス停で下車
レンタサイクル
- JR中央線の「塩山駅」には、レンタサイクルが置かれています。(自転車なら約20分)
駐車場
- 無料の駐車場あり(普通車50台、バス10台)
地図
- 住所:山梨県甲州市塩山小屋敷2280