長野県松本市大村に建つ「女鳥羽山道樹院 玄向寺」へ御朱印を頂きに行ってきました。
室町時代の永禄四年(1561)、長誉上人清光和尚が現松本市浅間温泉の地に、「帰命山念佛寺」を開創されたことがはじまりで、寛文九年(1669)、松本藩主の水野忠直が、本堂以下の設備を整えて廟所となし、玄向寺と改称しました。
そんな歴史ある玄向寺の御朱印や境内の様子、アクセス方法や駐車場などの情報をご紹介していきます。
目次
玄向寺の御朱印
こちらが玄向寺の御朱印になります。
玄向寺は、松本札所三十三番観音の第三十一番札所にもなっています。
玄向寺の境内
境内図
とても広い境内で、長い歴史の繁栄を感じます。
仁王門
仁王門は、元禄八年(1695)松本城主であった水野氏により穂高神社の神宮寺の仁王像を移して建てられました。
健脚を祈願してか草履がたくさん掛けられていました。
また、人間の邪心を砕く守仏の仁王(金剛力士)は、江戸時代初期の作で像高180㎝となっています。
六地蔵
仁王門をくぐると六地蔵と松本札所三十三観音が立っています。
六地蔵は、元禄八年(1695)に建立されたものです。
地獄・餓鬼・鬼生・阿修羅・人間・天の六道において、子どもらの苦を救うといいます。
松本札所三十三観音
一番札所の安楽寺から、三十三番札所の兎川寺まで、松本及び近在の札所の寺名と寄進した人々の銘があります。
山門
旧本堂
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈によって多くの寺が廃寺となりましたが、玄向寺は水野港の菩提寺であり、徳川家康公の御母君於大の方が水野家の出身ということもあり、廃寺にはならなかったそうです。
牛地蔵尊
女鳥羽滝観音堂
坂と階段を上がった先に建っている女鳥羽滝観音堂は、元禄八年(1695)水野忠直の創建で明治に再建されたものです。
本尊は、延享四年(1747)松本三十三番札所の第三十一番観音になります。
開運稲荷社
女鳥羽滝観音堂の隣に建っている開運稲荷社。
水野公廟所
松本市特別史跡に指定されている水野公廟所があります。
鳥居は、寛文九年(1669)、6月6日松本城主であった水野忠直が墓所の造営に着手したとき、菩提寺の春了寺住職円道の代に建立されたもので、松本では最も古いものだそうです。
水野氏は、寛永十九年(1642)三州吉田より入封し、享保十年(1725)まで、六代八十四年間に渡ってこの地を領し、玄向寺を墓守寺として廟所を構えました。
水野氏のあとに松本に入封した戸田氏の廟所と並ぶもので、大名家廟所として、規模も大きくよく保存されています。
廟所は、大型の五輪塔九基(歴代藩主夫婦)を中心にして、周囲に一族の供養塔が立っています。
壽光園
竹村政右衛門筆塚
竹村政右衛門は、学を好み、村の組頭を勤め、余暇に寺子屋師匠として読み書、算法、礼法を子弟に教えた人物だそうです。
明治初年、福戸長となり学務に尽くしました。
明治二十六年(1893)算筆門弟中で筆塚を建て、筆塚の字は東峰学人の筆跡です。
玄向寺へのアクセス方法(行き方)
電車とバス
- JR松本駅から美ヶ原温泉行きのバスに乗車し、終点で下車、徒歩約15分
駐車場
- あり
地図
- 住所:長野県松本市大村681