長野県松本市蟻ケ崎に建つ「日光山 放光寺」へ御朱印を頂きに行ってきました。
天平二年(730)に行基菩薩が聖徳太子作の十一面観音をこの地に安置し、日光放光寺と称したことがはじまりの曹洞宗の寺院です。
そんな歴史ある放光寺の御朱印やご利益、境内の様子やアクセス方法などの情報をご紹介していきます。
目次
放光寺の御朱印
こちらが放光寺の御朱印になります。
放光寺は、信濃三十四番札所の第二番と松本三十三番札所の第二十五番になっています。
放光寺のご利益
信濃屈指の厄除観音様がいらっしゃることで知られています。
毎年1月の第2月曜日(成人の日)と前日の日曜日に行われている厄除観音大縁日には、長野県内外から数万人以上の参拝者が厄除をはじめ、「身体健全」、「商売繁盛」、「合格祈願」等のご祈祷に訪れます。
江戸時代頃から伝わる伝統的な行事です。
放光寺の境内
長い石段をあがっていきます。
信濃三十四番札所と松本三十三番札所になっている場所なので、年間を通してたくさんの参拝者が訪れますが、その中でも特に厄除観音大縁日、四萬八千日ほおずき市、二年詣(除夜の鐘・初詣)のときは、多くの参拝者が訪れています。
六地蔵。
延暦年間(790年頃)征夷大将軍の坂上田村麻呂が中房山鬼賊退治の戦勝の報謝として放光寺の本堂等伽藍を建設したと伝えられています。
又、別の説として延暦年間に中上野国の講師日光二荒山勝道上人が伽藍を建設したという説もあります。
現在の本堂は、昭和四年(1929)、観音堂跡地に建立されました。
放光寺は、兎川寺と牛伏寺に並んで、松本では最も歴史のある寺院です。
天和三年(1683)、京都にある智積院の末寺となり、この年に松本城主であった水野忠直が弁財天蓮華池を整備し大いに繁栄しました。
しかし明治五年(1872)、「廃佛毀釈」のため廃寺となり、本堂、観音堂、仁王門、六角堂等全ての建物が売却され、十一面観音菩薩大日如来など十数体の仏像は裏町の正行寺に移されます。
その後、越場道仙和尚と放光寺信徒の方の努力で、曹洞宗の寺院として再興されます。
平成十三年(2001)に六角堂が新築されました。
寺務所。
こちらで御朱印を頂くことができます。
放光寺へのアクセス方法(行き方)
電車(最寄り駅)
- グーグルマップで調べると北松本駅から徒歩23分
※坂が急なので、より時間がかかる可能性がございます。
バス
- 松本バスターミナルより松本電鉄バスアルプス公園行きに乗車し、「放光寺」バス停で下車
駐車場
- あり
※厄除観音大縁日には、アルプス公園の臨時駐車場からシャトルバスも出ているようです。
地図
- 住所:長野県松本市蟻ケ崎1283