諏訪高島城は、豊臣秀吉の家臣であった日根野織部正高吉が諏訪の領主となり、文禄元年(1592)から7年の歳月をかけて諏訪湖畔に築いたのがお城です。
城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから別名「諏訪の浮城」とも呼ばれています。
また、「諏訪の殿様よい城持っちゃるうしろ松山前の海」と歌われた名城だったといいます。
このページでは、そんな高島城へのアクセス方法や駐車場、入場料と開館時間、休館日などの情報をご紹介していきます。
目次
高島城へのアクセス方法(行き方)
電車(最寄り駅)
- JR中央本線の「上諏訪駅」諏訪湖口から徒歩約10分
駐車場
- 普通車14台
- 大型バス8台
地図
- 住所:長野県諏訪市高島1丁目20番1号
高島城への入場料と開館時間、休館日
入場料
- 大人310円(20名以上の団体は200円)
- 小人150円(20名以上の団体は100円)
※障がい者手帳をお持ちの方は、大人150円、こども無料、介助が必要な場合は介助人1名まで割引料金150円。
開館時間
- 9:00~17:30(10月1日~3月31日は16:30まで)
休館日
- 12月26日~12月31日及び11月第2木曜日
※高島城への入場料と開館時間、休館日は、変更になっている可能性がございますので、最新情報は公式ページでご確認ください。
高島城跡(高島公園)の様子
冠木橋と冠木門
冠木橋と橋を渡った先にある冠木門。
冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことをいうが、高島城を描いた絵図からは、楼門あるいは高麗門と呼ばれる屋根付きのもんであったことがわかるそうです。
当初は、冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられ、名称のみが残されたものだと考えられています。
冠木橋から眺める高島城の様子です。
写真スポットとして様々な場所で見かける景色ですが、私が訪れたときは秋の午後3時頃だったので、ちょっと陽の光が足りませんでした。
高島城本丸の堀と石垣
高島城は、衣之渡川や中門川などの川を堀とし、諏訪湖と阿原(沼沢地)に囲まれ、縄手だけが城下町に通じていました。
天守閣の石垣と本丸の正面と東側の石垣は、規模が大きいが西側と南側の石積みは簡単なものであった。
衣之渡郭・三之丸・二之丸などの石垣も比較的小規模です。
石垣は、野面積みで、稜線のところだけが加工した石を用いています。
地盤が軟弱なので、沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいます。
多門跡
高島城内
慶長六年(1601)初代藩主の諏訪頼水から十代藩主の諏訪忠礼に至る270年の間、諏訪氏の居城とされていましたが、明治八年(1875)の廃藩置県によって天守閣は撤去され、翌明治九年(1876)の5月に高島城跡は、高島公園として一般開放されました。
昭和四十五年(1970)の春に諏訪市民の熱い想いによって高島城は復興されました。
1階は、郷土資料室・企画展示室、2階は高島城資料室、3階は高島城資料室と展望台になっています。
私が訪れたときは、高島城の模型が1階に展示されていました。
3階の展望台からの長めです。
本丸御殿跡
キハダ
高島城のキハダは、諏訪市天然記念物に指定されています。
諏訪地方で最大の部類に属し、樹齢は130年を超えると推定されています。